SWEETS NOVEL

二次創作(小説)するタイプのオタクがあれこれつぶやくブログ。

多数派少数派について/私があなたたちを好きな理由

これは久しぶりの雑記で、私のつまんない昔話です。
目的は思考の整理…?だな!
ノリは西尾維新先生の後書きみたいなものです。

 

小学生の頃、
「自分がされて嫌なことをしない」
とう担任の先生の言説に対して、
「私がされて嫌なことと相手がされて嫌なことは違うのに?!」
ってずっと思っていました。あれ、
「相手のことを考えて、相手がされると嫌(そう)なことをしない」
じゃないのか!?
よくチョークを武器(物理)にする先生だったな…お元気ですか?

 

でもこの言葉って、
「みんなの気持ちをなるべくひとつにしよう」
っていう意味も持ってる言葉だったのかもしれないなー、って今は思う。
…待って「みんなの気持ちをなるべくひとつにしよう」って言葉でいいのか?
うーんうまく言語化できてないような気がする…誰か私の代わりに言葉にして…。


あ。あと、
「多数派の気持ちに沿っていたほうが、生きやすいんだよ」
っていう子供達への応援?年の功による助言?も含まれてたように感じるんですよね。
みなさんどう思います??

 

多数派に属するのは、自分を大事にする方法のひとつですね。
私はというと、何かと多数派になれません。
…あっ最寄り駅付近の飲食店、喫煙席あるとこ全部なくなりました!!!
つらい。でも仕方ない…あれは非常にSo臭い棒だから…私も喘息だしそこはわかる…。
私みたいな喫煙者も、もうすっかり少数派ですね。

 

やー。
子供の頃、周りに合わせられなくてめちゃくちゃ難儀したんだ。
まずは「体育やだ」から始まりましたね。
だから授業出なかったごめんなさい。
「えっっっっあの箱を…飛ぶ…意味は…なに!?それ、たのしい?!?!」(※跳び箱)
って本気で思ってた。
走るのは好きだったからちょこちょこ出てた。
基本的に嫌と思った授業は出なかった。

 

当時は、人と何かをするってことがまったく出来なかったんですね。
孤独は無理、大嫌い。
でも、ひとりじゃないと絶対無理。
なのに周りがそれ強制してくるから、
「は!?もう行かねーわバカ!!!!」ってなって、
私ほぼ小~中、学校に行ってなくて…。

ああ~恥ずかしいよ~~。

 

これね後悔してます!!自分の子には!!無理のない範囲で行ってほしいね!!!
学校は生きていく力を身につけるところ、
そして集団社会を学ぶところなんだ。

 

好きな本がたくさんあったし、好きなアニメがたくさんあったし、
好きな音楽もたくさんあったし、なので、生きるのは楽しかったし面白かったです。
好きなものには全力でぶつかっていくタイプでした。
人生をまるごとかけて「好き」でいるタイプでした。

本屋すごい。図書館すごい。テレビもすごいぞ。ネットは偉大。
アホアホ恋愛も今となっちゃ楽しかったし面白い。
ああこのまま女の子が好きなんだろうなー(女の子と付き合ってた)と思っていた矢先、
彗星のように現れた男(付き合った)が実はノンケ寄りバイの既婚でかつ売り専で働いてた件は、
私の楽しい・面白い・ウケる三拍子そろった過去の一つです。
ごめんやっぱ面白くないそんなに楽しくなくなかった!!むかつく!!!

 

とにかく「つらい」の隣には「楽しい」もちゃんと居ました。
「つらい」の方がいつも大きかったけども。

 

なので将来もっと楽しいことがしたいから、
私なりに考えて動きました。

とりあえずお金を稼ぐ上で不利になりそうだから、
高校は卒業しました。愛と同じくらいお金は大事!
その頃身内への憎悪がひどすぎて実家を出たかったので、
高校行きながらちまちまバイトしてました。
さっさと実家を出て、大学入って、卒業しました。
えーとそれから大人になって、宝物をたくさん作ったね。

 

でもいまだになんかつらいんだよね。
なんでだろうね。
根がわがままだからかな。
20代を終えたら、なにかが変わるかもしれない。

 

「お前はそれでもいいよ」
と今周りにいる大事な人たちが言ってくれるのは、
私がその人たちをちゃんと大事に出来てるからだと信じたい。
もちろんその人たちがマジ聖人ってのもあるんですけど、
人は見返りを求める生き物だし…。
返報性の法則は本能に基づくものなんだ…。
なので、私も何か与えることができていると信じたいです。
私の周りのみんなたちどうなんですか実際!?

 

何せよこれからも隅っこで、
なるべく迷惑をかけないように、
みんなと楽しく生きていきたい。

 

多数派に属さないということは、ゆくゆくは自分を傷つけることに成り得る。
なんでかっていうと、ひとりになっちゃうから。
責任を分散できないし、とにかくいろんなことが全部自分にのしかかってくる。
ひとりは生きにくい。


将来、フィジカルおよびメンタルが衰えた時どうするかっていうのは、
考えて布石打っといたほうが絶対にいい。
周りのためにも自分のためにもなるから。

 

人は足りない部分を補いあってる。

 

ところで代行システムってすごいよね。
家事代行を頼んだり、母代行を頼んだり、
友人代行を頼んだり、恋人代行だって頼むこともできるわけですけど、
でも、お金には限りが…あるし…。

 

稼ぐのとか貢がれるのって、
何かしらのセンスと才能をめちゃがんばって磨かなきゃじゃないですか。
それ一定数の人しか生き残れないやつじゃないですか。
私そんな世界に放り出されたらすぐ死ぬと思う!!!!
個ではなく集団を生かすためにある社会の救済措置に、
私は現状ぐだぐだに甘やかされている……。


だから恩返しがしたいよね。
昔はできなかった「ルールを守る」とか「周りに合わせる」、
あとこの人は何が「嫌」なんだろうって考えてしないようにしたいよね。

 

「いつだって多数派が正義だった。わかる。めっちゃわかる。もう諦めてる。だがしんどいときもあるし絶望するときもある。この気持ち、聞いてくれないか」
という派閥の総意を代弁する物語。
それが私の推し阿良々木暦忍野扇が大活躍する、
終物語上のおうぎフォーミュラです!!

終物語 (上) (講談社BOX)

終物語 (上) (講談社BOX)

 

 私、究極物語シリーズはとりあえずおうぎフォーミュラから入っても良いと思っているんですよね!!!
主人公の阿良々木暦がどういう人物なのかなんとなく、なんとなーく解るから。
物語シリーズ、基本はキャラの会話だからなんも考えないでするする読めるところがすごいと思う。


なんと図書館でも読めるんですよ…!?
最近の図書館はラノベもたくさん置いてある。
私が小学生のときはせいぜいコバルト文庫くらいだったよ。
あれでもなんて素敵にジャパネスクとかはラノベのくくりで良いのだろうか…。


はい。この記事のサブタイトルは「私が阿良々木暦および忍野扇を好きな背景」でした。
あくまでも背景で理由のひとつってだけなので、「萌えるところ」は全然別にあるよ。

 

最後まで聞いてくれてありがと、アロエリーナ。