雑記。仕事も趣味も物書きですが文章を読むことが死ぬほど苦手です。
「読書」というより「勉強」に対してコンプレックスがあるせい。
わたしは大卒ではあるもののいわゆるちゃんと学校に通った経験がありません。
もうずっと教室にいるより外と家で過ごす機会のほうが…圧倒的に…多かったんですよね。
だから当然、勉強ができない。
宿題とかテストとかほぼ白紙で出してた。
はっきりした評価をされたことがほぼありません。
入学と卒業くらいかなあ?評価。
入っていいよと出てっていいよっていう評価。
お前の親何してたんだと突っ込まれそう。
わたしの家庭環境はお察し下さい。
おふくろの味はお菓子とコンビニ弁当です。
で。
昔から、本って、文章って、勉強ができて、頭良い人が読むものだとボンヤリ思ってたんですよね…。
「集団に属せて」+「座って授業をきけて」=「頭が良い人はいいよね」
とくさくさしてたんですよね。
※ここで言う「頭が良い」とは「集団に属する努力をした結果、なるべくして教養を身につけた人」を指しています。
だから「勉強」の匂いがするものを避けてました。
ずっと逃げてました。
でも、はっきりしたきっかけはよく覚えてないんですが、
わたしの中で「苦手」はそれをしない理由にならなくなりました。
むしろ「苦手」だから進んですることが多くなった。
苦手なものがあるのが、本当に悔しいと思うようになった。
多分それは本格的に一人暮らしを始めて、
いろんな人とかかわっていく中ではじめて危機を感じたからです。
「わたしがこういう育ち方をしたせいで、人を傷つけているんだ」
っていう危機です。
こういう育ち方とは、
「人の輪から外れて、ひとりで、自分勝手にやる」
って育ち方です。
それで、過去の自分が許せなくなった。
「苦手」だからやる。それは、
「そもそも自分の知識の浅さと経験不足と地頭の悪さでこれの良さを理解できないだけかもしれない」
…というコンプレックスが浮き彫りになった結果の贖罪のようなものです。
ところでわたしは虫が苦手です。
嫌な予感がした人はここから先の灰色は薄目で読もう!
昔バイト先でお客さんに、
「この子大事に育ててるんだ♪」
って言ってGを目の前でもしゃっと食われたことがあり、
それから虫は苦手ですが虫を食う女にはバッチリときめくようになりました。
こわかった~接客後ひとりでしくしく泣いた。
そんな恐ろしい過去の話はどうでもいいよ。
話を戻していい?
わたしの場合本と向き合い続けた結果、
自分の感性とダイヤルの合う物書きに出会えたことで
「文章、読書、本、すごい!楽しい!」
ってバコンと好きになっちゃった。苦手だったのに。あれすごいですね。
運命とはやっぱり自ら作るものなのだ。
ダイヤルが合う、とはつまり「理解(わか)り…」です。
理解りのあった商業作家はこちら。
どの部分でダイヤルが合うと感じたかはまた今度書こう。
あとわたしはそもそも人間が好きなんです。
これは文章が、本が好きになったからこそ気づけたことです。
だから人間のことを深く知りたくて、
その知る手段のひとつとして、
文章っていう体裁が一番わたしにはわかりやすかったんです。
まあでもね。
苦手なものが愛するものになったサクセスストーリーのせいで執着してるだけなのかもしれないよね。
………。
しかし、文章読むのって基本はめんどくさいことなんですよね。好きだけど。
みんなそうだと思う、一部の活字中毒を除いて。
タイトルの通り基本は読めない人間なんですよね。
文章というか本ですね。漫画も読めない。読んでるけど。
だから今のスマホ時代の流れ的にも、
物書きをやっていくのは正直なところきついんですよね。
スマホ脳面白かったです。
もう少しなんか考えないとな。
いつも考えてるんだけどね。
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ところでブログではお久しぶりでした。
Twitter(同人アカウントのほう)は消しました。
5年間ありがとうございました。
ごめんなさいわたしはもうジャンル的にというか性格的に、
色んなことを気にしすぎちゃって公開アカウントで発言RTいいねできない!
わたしは自意識が強いんだ!!
もう二度と誰も傷つけたくない!!
自分を傷つけたくない!!
わたしは自由だ!!!
わたしの二次創作を読んでくださっているかたは、
こちらのpixiv覗いていただけると嬉しいです。
プロフィールに今後出るイベントとか書いています。
また、
BOOTHをフォローしていただくと新刊通知などがピコッと行きます。おそらく。
おしまい。